ガラスのない窓
2025-09-19
[窓]
注目
今回は“ガラスがはまっていない窓”のお話です。
西欧世界の窓(window)の語源が“風の目”(wind-eye)である、との説はよく広く知られています。
石の壁でできた建物に風や光を得ようと穴を開けたのが窓の始まりで、そこにガラスがはめられ私たちがよく知る“窓”になるまで、人は長い時間をかけてきました。
世界最古といわれるガラス窓は、古代ローマ都市ポンペイの浴場跡で発見されました。
分厚くて不透明なガラスがはまっていましたが、当時のガラスは大変な贅沢品。庶民の手に届くものではなかったといいます。薄く透明でなめらかな板ガラスの窓など想像するのも難しかったでしょう。
小さな穴からわずかな光を取り込む暗い家に暮らしながら、人々は「窓にはめて光をたくさん通すナニカ」がどこかにないだろうか? あかりが採れる窓のある建物をつくりたいと願い続けました。そしてさまざまな材料を発見しては加工し、窓枠にはめていったのです。
動物の皮も使われました。
聖書をはじめ、無数の小説や歴史書に出てくる“羊皮紙”で、これはパピルスと並んで紀元前のエジプトが生み出した、文明最初期の紙のひとつです。
羊や子牛の皮を原料とし、本や楽譜の筆記・記録に多く使われましたが、薄く半透明でよく光を通し、しかもとても丈夫だったので中世ヨーロッパの住宅の窓にも利用されました。

ガッラ・プラキディア霊廟の大理石窓と壁画群 ©️ HIro-o
石を張った窓もあります。
5世紀半ばのイタリア・ラヴェンナで建てられた霊廟『ガッラ・プラキディア』の天井に穿たれた窓がそのひとつ。大理石を薄く削って張ったもので、美しい琥珀色と天然のマーブル模様に目を奪われます。
この小さな窓から差し込む外光は周囲の壁画をも照らし出し、室内は荘厳な雰囲気に。ガラスとは比較にならないほのかな光ではありますが、霊廟としてはむしろふさわしいかもしれません。
5世紀半ばのイタリア・ラヴェンナで建てられた霊廟『ガッラ・プラキディア』の天井に穿たれた窓がそのひとつ。大理石を薄く削って張ったもので、美しい琥珀色と天然のマーブル模様に目を奪われます。
この小さな窓から差し込む外光は周囲の壁画をも照らし出し、室内は荘厳な雰囲気に。ガラスとは比較にならないほのかな光ではありますが、霊廟としてはむしろふさわしいかもしれません。

大阪市立自然史博物館に展示されている窓貝 ©️ Daderot
近代に至っても、ガラス以外の素材を使った窓は存在しました。“貝殻の窓”をご紹介しましょう。
その名もズバリ『窓貝』という貝があります。
牡蠣の一種で、かつて数多く生息していたフィリピンの地域名から『カピス貝』の名でも知られています。この貝の白い殻は加工によって半透明になり、四角く細断して枠に張ると窓をつくることができました。
カピス貝はインドから中国南部、ボルネオ島、フィリピンの島々などアジアの海に広く分布しています。地元の人々は昔から住宅の窓で使っていました。日本と同じ引き戸タイプの窓も多かったようです。
しかしこの窓が広く普及するようになったのは、15~16世紀の大航海時代。スペイン人やポルトガル人による大規模な植民地政策が行われた時期でした。

カピス貝で作られた窓 ©️ Bagoto
当時のヨーロッパではガラスは依然として高価なものだったので、カピス貝の窓を見たポルトガルの航海者は驚き感動したといいます。彼らはそれぞれの入植先で、自分たちの暮らす邸宅や教会の窓にもカピス貝を採用していきました。
当時の代表的な植民貿易地だったインドのゴアやフィリピンのビガンでは今でも、コロニアル様式の住宅や古い教会建築などで立派な『カピスシェル・ウインドウ』を見ることができます。

フィリピンの伝統的な家『バハイ・クボ』では、カピス貝の引き戸が使われることも多かった ©️ SwarmCheng
カピス貝は今でも、主に照明器具や装飾などのインテリア分野で多く使われています。しかしその美しさから乱獲され、場所によっては絶滅が心配される状況も。地球環境に対して私たちが持たねばならない高い意識が、こんなところでも求められています。
“透明なものへの限りない憧れ”こそ、ガラス窓の発展を促す最大の推進力だったのでは…世界中にちらばる“ガラスのない窓の物語”は、そんなイメージを抱かせてくれますね。(了)



















