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二階さちえの「窓のコラム」

「窓」とは?二階さんならではの視点でさまざまなジャンルから「窓」を語ります。

二階さちえ(ふたはしさちえ)プロフィール
記者・編集者。(同)青空編集事務所代表。住宅・建築・まちづくりをテーマにウェブサイトや雑誌、書籍向け企画取材執筆・編集を行う。板硝子協会エコガラスHP取材記者、神戸新聞まいどなニュース特約記者、神奈川大学建築学科発行誌『RAKU』特集ページ編集統括。近著に『世界5000年の名建築』『東京老舗の名建築』(共にエクスナレッジ刊)、『中銀カプセルスタイル』(草思社刊)取材執筆。千葉大学大学院修士課程修了、工学修士

二階さん取材記事⇒エコガラス事例紹介

日本人は引き違い窓が大好き?!平安貴族の住まいから続く『間戸』の歴史

2021-10-08
カテゴリ:窓
マンションに並ぶ引き違い窓
 
日本の住まいの窓といえば昔も今もまず“引き違い”。
 ここ数年、省エネを考えた高性能住宅が広く認知され、断熱力の高い外開きやすべり出し窓も増えてきましたが、多くの日本人が描くイメージはやはり横に引いて開ける窓でしょう。
 
 しかし世界に目を向ければ、ヨーロッパもアジアも一般的な窓は開きタイプや上げ下げタイプです。引き違いは実は日本生まれ。ある種“レア”な窓なのです。
 
 windowの語源は『wind-eye』だという説があります。“風の目”を表す北欧の古い言葉が英語的に変化したといい、換気をしたり室内から外を見張るための“穴”の意味合いを持っています。
 太古の昔から石を積み、岩山を穿って住まいとしてきた地域では、窓は壁に穴をあけてつくるものでした。さらに高緯度地帯や砂漠エリアでは寒さ暑さもきびしく、それに対峙して暮らすためにも大きな開口は避けられ、“壁の穴”的な在り方が長く続いてきた面もあります。
壁に穿たれた窓。中央は嵌め殺し、左右の三連窓は曲線を描く上部を回転窓にしている
 
時代は下って、ヨーロッパでは二重や三重の窓ガラスが普及し豊かな開口が取れるようになります。大きくなった“穴”は、開きタイプや上げ下げタイプといった断熱にすぐれたスタイルの窓として進化しました。夏の間にたっぷり日光を取りこんで長く暗い冬に備えるライフスタイルも、北欧を中心に根づいています。
 
 一方、日本の窓の語源は『間戸』。柱と柱の間に立つ戸で、穴ではありません。
ここには古代から中世、近世にかけてつくられた『寝殿造』や『書院造』といった、現代日本家屋のルーツとされる平安貴族や武士の住まいの特徴が表れています。
 
 寝殿造も書院造も、柱を立てまわして梁や桁を渡し、屋根を支える構造です。しっかりした壁があまりないのです。代わりに紙を張ってつくる張付け壁や舞良戸(まいらど)と呼ばれる板戸、そして和紙を張り外光を通す明障子(あかりしょうじ)などを柱の間に立てて囲い、室内と室外を隔てていました。
ガラスを入れて外を眺められる雪見障子。開ければそのまま庭につながる
これらの建具は壁と異なり、動かすことができます。夏は板戸をすべて取り払ったり簾戸に代えたりして風通しよく過ごし、冬は板戸の合間に明障子を立てて採光しながら火鉢で寒さをしのいで暮らしました。引き違いのしくみはこのような環境の中で生まれたのです。外まわりのほか、室内を間仕切る襖にも応用されながら定着していきました。
 
 厚い石壁ではなく木や紙でできた薄く軽やかな建具に囲まれ、気候がよければそれさえ取り去って家じゅうガラ空きにしてしまう…夏、京都や奈良のお寺を訪れれば今でもそんな光景に出会えます。そして多くの人が「ああ、気持ちいいなあ」と思うのではないでしょうか。遠い祖先の暮らしの記憶が呼び覚まされるのかもしれません。
 
 柱を残して建具をなくせば内と外はつながり、ひとつの空間に感じられます。砂嵐や猛吹雪、高温多湿のジャングルのような極端な自然にさらされず、比較的穏やかな気候に恵まれていた日本では、自然は対峙し抗う相手ではなく共生する存在。この風土が「家の中でも外を感じたい、自然と一体化していたい」と願う精神文化を育みました。
 
 暑さ寒さはもちろん、草木の匂いや虫の声、雨や風の音そして庭の風景が家と渾然一体になる。この住文化を引き戸もまた根底から支えてきたのです。
敷居に沿って延びる濡れ縁と沓脱ぎ石が、内と外を一体化する曖昧な境界を形成
 
採光の役割から考えれば、日本の窓のルーツのひとつは明障子でしょう。となれば「最初から引き違いだった」ともいえそうです。障子のついた掃き出し窓だけでなく腰窓や洋風の出窓さえ圧倒的に引き違いが多いこの国の窓事情を見ると「日本人のDNAに刷り込まれているのでは?」とさえ思いたくなってきます。
 
 その一方で引き戸と同時期あるいはもっと古くに誕生し、現代まで受け継がれている開口部もあります。
 蔀(しとみ)はその多くが格子の建具を上下で二分割し、上半分をはね上げ留め付けて外光や風を取り込むもので、外開き窓の一種といえるでしょう。お寺などで今でも見ることができます。
 
 ところが引き戸が広まるにつれ、住まいの中からはいつしか姿を消してしまいました。
 
 蔀は雨風よけも兼ね、明障子などよりも外側に立てられました。木製の格子でがっしりとつくられ重く、はね上げるには腕力が必要で、鎌倉時代の将軍家では朝晩の開閉係がいたといいます。
 お寺はまだしも個人の家では、軽くて子どもや女性も扱いやすい引き戸に軍配があがるのは明らか。敷居と鴨居で建具をすべらせ小さな力で開け閉めできる、引き戸はまさに大発明だったのでした。
蔀。上部の格子を跳ね上げ、軒に留めつけて固定する
高気密高断熱住宅が普及しつつある中、開き窓などと比べて断熱力を少々上げづらい“泣きどころ”が引き違いの窓にはあります。ついている窓は全部開き窓やすべり出し窓、という家も出てきました。
 
 けれど朝一番に腰窓をさっと開けて風を入れる時、掃き出し窓からなにげなく縁側やテラスに出て庭や空を眺める時の、引き戸の軽さそして人への近しさはどうでしょう。長きに渡り、境界を曖昧にしながら内と外とを自由に行き来してきたこの国の住まい方を、変わらず静かに守っている。そんな存在だからこそ、私たちの引き違い愛はまだまだ止まらないのかもしれません。
 
丹精された小さな庭とリビングが大きな掃き出し窓でひとつの空間に

円窓のある銀座の宇宙船 〜 中銀カプセルタワービル 〜 *文と写真 二階さちえ

2021-07-16
 まんまるの窓って、あまり見かけないですよね。おしゃれなお店やこだわりの住宅、あとは絵本に出てくる船やロケットでしょうか。
 中銀(なかぎん)カプセルタワービルには、丸い窓が140個ついています。それは未来と自由を映す“宇宙船の窓”でした。
 
 ビルが建ったのは1972年、場所は東京・銀座8丁目です。当時の名称は『中銀カプセルマンシオン銀座』その名の通り、ビジネスパーソンのセカンドハウスやホテルライクな宿泊施設、都心の別荘、小規模オフィスが主な利用目的でした。
 カプセルと呼ばれる積み重なった箱は、エレベーターが通る中央の柱にボルトで留められ、独立した部屋になっています。特異な外観は多くの人が「レゴブロックを組み立てたみたい」と感じるでしょう。そのとおり。ブロックや積み木のように“取り替えられること”が最大のテーマだったのです。
 
 建築家・故黒川紀章は『メタボリズム(新陳代謝)』という建築思想のもと、このビルを設計しました。一度できたらそうは変えられない従来の建物と違う、使い方や時代に合わせて生き物のように変化する建築をつくる考え方です。カプセルタワーはこの思想が形になった、世界的でも稀な建築として知られています。
 自由で斬新、時代の先を行くスピード感にあふれた“マンシオン”は、銀座という立地のよさも手伝って売り出し後約半年で完売。価格はカプセルひとつ約340万円ほどだったそうです。
 当時は大阪万博の2年後で、科学技術の発展や未来・宇宙への夢が高らかにうたわれる高度経済成長期の終盤でした。大都市を24時間動き回って仕事をする、今日『デジタルノマド』と呼ばれるようなライフスタイルを自認していた人々にとって、カプセルタワーがこの上なく魅力的に見えたのは想像に難くありません。
ビルの足元から見上げるカプセル群。建物は傷みが激しく、外壁が剥落する危険があるため全体にネットが掛けられている
 カプセルが傷んだり老朽化したら、スポッとはずして入れ替える。新品はよそでつくって運んでくるからトラックに載る大きさにしよう。冗談ではなく本当の話です。幅約2.5m、奥行き約4m、天井の高さ約2.2mのサイズはこうして決められ、軽量鉄骨とパネルで製作されました。
 カプセルは直方体の1辺で柱に取り付き、残りの5辺は他と干渉せず宙に浮いています。外観の印象と異なり高度に独立した静謐な空間で、高速道路を走る車の音も聞こえません。
 
 室内は6畳ほどの広さでベッドとユニットバスがあり、ほかに壁面収納式の机やテレビ、エアコン、物入れ。歩き回れるスペースは2畳もないでしょう。床面積にして10㎡、足を踏み入れた誰もが一瞬ひるむこの狭さは、極小の居住空間といわれます。
 
 それなのにしばらく居ると心が落ち着くのです。なぜでしょうか。
 直径1.3m、カプセル全体のスケール感からしても大きめな丸い開口が、高層ビルや首都高速道路といった最都心の風景を切りとっています。この窓と幾何学的な白い壁に囲まれると、なんだか宇宙船のコクピットにいるよう。ここはマンションの一室ではなく東京という宇宙に浮かぶ秘密基地なのでは…イメージした瞬間、狭さの感覚が消えました。
 円窓に魔法をかけられたのかもしれません。異空間にスリップするがごときこの非日常性、カプセルタワーの真髄がここにあります。
カプセルの入口から見た内部。左手の壁にエアコンやテレビ、机等が収納され、奥に円窓とベッド、右手がユニットバススペース。
ユニットバスの扉デザインも丸がモチーフになっている
 円窓は開閉できない“はめ殺し”。カプセルはエアコン完備だから窓を開けての換気は不要、というわけです。寝起きはできても調理設備はなく、カセットコンロで料理すれば湯気やにおいがこもり、扉から廊下に流れ出ていくのを待つしかありません。
 光を取り入れて外を見る。2つの機能に窓は特化しているのです。ホテル的セカンドハウスやオフィス向けという当初の目的を考えれば、これも自然だったかもしれません。
 時は流れ利用者が変わると、いくつものカプセルが住居として使われるようになりました。それでも食事は外食やテイクアウト。銀座という街をダイニングや冷蔵庫として使うのが、受け継がれるカプセル暮らしの流儀なのです。通年でのエアコン使用も同様で、皆がそれを受け入れています。 
 
 こうして円窓は純化され、宇宙船の開口であり続けました。多くの利用者がこの窓を愛してカプセルに身を置く実感を託し、合言葉のように“秘密基地”や“宇宙船”と口にします。
 それは単に“丸くて大きいから”ではないはず。円窓はレトロフューチャー=永遠の未来を象徴するカプセルタワーの象徴です。そこからは、時空を超えて銀座を浮遊する自由な自分自身が見えるのではないでしょうか。
脇を走る首都高速都心環状線と浜離宮の緑、海岸地区の高層ビル群を5階カプセルの円窓から望む。銀座ならではの眺め
※2021年7月、中銀カプセルタワービルは老朽化により解体が予定され、利用者は全員退去しました。現在、カプセルを取りはずして美術館への寄贈や宿泊施設として改修・再利用するプロジェクトが進められています。
株式会社クリア
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山梨県甲府市青沼2丁目23-14
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